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::: NHKスペシャル ::: 歴史・ドキュメンタリー ::: ★★★★☆
::: 被爆者 命の記録〜放射線と闘う人々の60年〜 ::: 2005年08月06日(土) 放送
8割以上の人が亡くなった爆心から1キロ以内の地帯。 奇跡的に生き残った人々に、いま放射線の影響と考えられるがんが多発している。 900メートルで被爆した男性は、この10年で14度の手術を経験、550メートルで被爆した女性は4つのがんを経験した。 NHKは広島大学と協力し、この地帯で被爆した人々がどれ程の放射線を浴び、 通常の人よりどのくらいがんが多いのか、科学的検証を試みた。 番組では、放射線によって傷付いた人々の体と心を見つめ、核兵器が人間をどこまで冒し続けるのか、その恐ろしさを描く。
::: 赤い背中 〜原爆を背負い続けた60年〜 ::: 2005年08月09日(火) 放送
背中を真っ赤に焼かれ、うつ伏せで横たわる少年のカラー写真がある。 原爆被害の悲惨さを物語る一枚として有名なこの記録写真を、 長崎市に住む谷口稜曄(すみてる)さん(76歳)は名刺に印刷し、核廃絶を世界に訴え続けている。 写真の少年は60年前の谷口さん自身だ。 16歳の夏、谷口さんは郵便配達中に原爆の熱線を浴び、背中を激しく焼かれた。 1年9か月間、うつ伏せのまま地獄の苦痛に耐える。 奇跡的に生き残ったものの、未だに背中の傷は完治せず原因不明の肉塊が繰り返し出現する。 だが谷口さんにとってはキリキリ疼(うず)く背中の痛みこそ、平和を訴える原動力となってきた。 その不屈の歩みを、妻・栄子さん(75歳)が支えている。 二人は長崎の街を見下ろす山の中腹に小さな家を建て、戦後を生きてきた。 結婚、出産、子どもの成長、そして孫の誕生…。 夫婦に訪れる喜びには常に、放射能への不安が背中合わせのようにつきまとう。 癒えることのない背中の痛みを抱えながら訴え続ける谷口さんの戦後を見つめる。
::: そして日本は焦土となった 〜都市爆撃の真実〜 ::: 2005年08月11日(木) 放送
炎に包まれる街、次々と焼け死ぬ人々・・。 第二次世界大戦は空からの爆撃で、都市そのものが戦場となり、市民が目標となる人類史上例のない凄惨な戦争となった。 戦略爆撃による一般市民の犠牲者は日本、ドイツ、イギリス、中国などを合せて百万人近くに達する。 国際ルールで禁じられていた都市、および住民への攻撃が、なぜ実行されたのか。 日本の都市は、なぜことごとく焦土となったのか。 戦後60年が過ぎた今、世界各地で、空爆の実態とそれに至るプロセスを解明しようという動きがうねりとなり始めている。 番組は、機密解除された膨大な米英の空軍資料をひもとき、日本をはじめ世界の爆撃を受けた地を訪ねて、爆撃の実態を検証。 各国が互いに影響し合いながら都市爆撃に傾斜していく過程を徹底追跡していく。 日本への空爆は、当初、都市爆撃に否定的だったアメリカが激しい議論の末に決定したものだった。 そこでは、市民に恐怖を与え、戦争遂行の意図を失わせるという意図があった。 テクノロジーの発展と相手の姿が見えない近代戦争のスタイルが、 罪なき市民を死に追いやっていった戦争の悲劇を壮大なスケールで描いていく。
::: 靖国神社 〜占領下の知られざる攻防〜 ::: 2005年08月13日(土) 放送
首相の参拝などを巡り、内外で論議を呼ぶ靖国神社。 そもそも靖国神社とはどのよう神社なのか、それを考える上で、重要な資料が次々と発見されている。 戦前、陸海軍省が管轄していた靖国神社は、軍国主義の象徴と見なされていた。 終戦後、GHQは靖国神社を廃止することを検討し、国家と国家神道のつながりを断とうとした。 しかし、靖国神社は生き残った。 そこには、占領政策を円滑に行おうとするアメリカの思惑や、日本政府、旧日本軍、神社関係者の戦略があった。 番組では、日米に残された膨大な資料や関係者の証言から、靖国神社が一宗教法人として存続するまでの攻防を描く。
::: 戦後60年 靖国問題を考える ::: 2005年08月14日(日) 放送
戦後60年の今年、靖国神社をめぐる問題が、国内外で大きな焦点となっている。 首相による参拝の是非など、靖国神社をめぐる問題を私たちはどう考えればいいのか。 靖国問題をめぐる歴史をたどりつつ、有識者が討論する。 番組では、戦後、靖国神社には誰がどのように合祀されてきたのか、 なぜ、A級戦犯が合祀されることになったのか、などを当事者の証言と資料で歴史的に検証。 そして、参拝の是非や追悼のあり方、歴史認識の問題などについて議論を深める。
::: 靖国神社 〜占領下の知られざる攻防〜 ::: 2005年06年18日(土) 放送 / 2005年09月03日(土) 再放送
太平洋戦争末期の沖縄戦では、3か月に及ぶ日米の激しい戦闘で20万人以上が犠牲となった。 そのうち一般住民の犠牲者は約10万人に及んだ。 猛烈な地上戦は、沖縄の住民の4人に1人の命を奪っていったのだ。 昭和20年4月1日、米軍が上陸した読谷村では、多数の住民が、地上戦の極限状態の中に最初に陥れられた。 「畳一畳に一発」といわれた激しい砲弾の雨、米軍の包囲が狭まる中での集団自決、 原生林を逃げ惑う中での飢餓、味方であるはずの日本軍から受けた虐待・・・。 読谷村民の犠牲者は、3000人を超えた。 そして、生き残った村民たちは、家族、仲間が次々に命を落とした過酷な地上戦の実態について、戦後、長く口を閉ざしてきた。 読谷村では、戦争に巻き込まれた村民の運命を後世に伝えるために、 沖縄戦の体験者からの聞き取り調査を行い、14年がかりで2500人に及ぶ証言を集め、 去年2000ページの戦時記録にまとめた。 60年前、地上戦の戦場という“逃げ場のない地獄”にさらされ、家族、住まい、ふるさと、すべてを奪われていった人々。 読谷村の戦時記録に記された村民たちの証言をもとに、60年前の沖縄戦の実態を住民の視点で描き出す。
戦後60年の節目に制作され、数日間に渡って放映された、NHKスペシャルのドキュメンタリー番組。
子供の頃は、8月になると膨大な記録や、全国から寄せられた体験談を元に、各局で戦争における特集番組が見られた。 しかし近年はあまり見受けられない。 ドラマの方が視聴率が取れるとばかりに、戦争の名を借りた嘘くさいドラマしか見かけない。 それに反して、NHKのドキュメンタリーは興味深かったし、考えさせられる。
『被爆者 命の記録〜放射線と闘う人々の60年〜』 では、
放射能と闘う人々をドキュメントしている。 原子爆弾の爆心地1km以内で被爆して生き残った人々の大半が、放射能の影響と考えられるガンに苦しんでいる。 しかも体の様々な部位でガンが発症する、重複ガンで何度も手術を繰り返えすという。 胃ガンの手術をしたと思ったら、今度は皮膚ガンと、心休まる暇などない。 それだけでなく、自分の子供や孫が病気になる度に、自分が受けた放射能の影響なのではないか? という不安な気持ちに苛まれるという。
ガンとはほど遠いので、比較するのもなんですが、わたくしは喘息持ちでして、通年性アレルギー症状(呼吸器系)で問題を抱えています。 風邪を引くとその影響で喘息が発症するので、常に体調の管理に気を使う。 喘息の二文字はいつも頭にあり、ちょっとでも咳がでると不安になる。 わたくしの場合、命に関わる状態ではないのでマシですけど、がんは命に関わる病気ですから、被爆した方々は毎日過度のストレスを受けているだろうと、本当に気苦労が絶えず大変だろうなと思います。
『赤い背中 〜原爆を背負い続けた60年〜』 では、
郵便配達中に原爆の熱線を背中に浴びた谷口さんの、平和を訴え続ける戦後の人生をドキュメント。 16歳の時被爆し、大ヤケドを背中に負い、生死の堺をさまよった谷口さん。 奇跡的に生還したものの、1年9ヶ月もの間うつ伏せの状態で地獄のような苦痛に耐えた。 未だに背中の傷は完治していない。
このドキュメントは衝撃的でした。 想像を絶する谷口さんの被爆からの人生は、正直、見てて胸が痛みました。 60年経った今も、仰向けでは寝られない。 背中の深部まで熱線で焼かれ、皮膚再生は不可能な状態なので、表面は皮膚のように見えるが違うらしく、かさぶたのような膜でかろうじて守っているが、脆く簡単に傷ついてしまう。 皮膚呼吸も困難なため、夏場など温度調節が出来ずに体調を崩しやすい。 また、原因不明の肉塊が背中から何度も出現するという。 そんな状態にもかかわらず、背中を真っ赤に焼かれ、うつ伏せで横たわっている当時の谷口さんのカラー写真を自分の名刺に印刷し、世界各国に核廃絶と平和を訴え続けている。 頭が下がります。 彼の活動の原動力となっているのは、今も痛み続ける赤い背中だという。
『そして日本は焦土となった 〜都市爆撃の真実〜』 では、
国際ルールで禁じられていた、都市、一般市民への空爆の実態を検証したドキュメント。
現代のアメリカの十八番、空爆です。 しかし、第二次世界大戦では、ドイツ・日本が先んじて空爆を行い多くの人命を奪っている。 日本では東京をはじめ、大阪や名古屋といった都市が、戦争の早期終結という大義名分を掲げたアメリカの無差別爆撃で、多くの民間人が亡くなった。 この大空襲で日本はほぼ壊滅状態で、事実上の敗戦国であった。 しかし、この大量殺戮には歯止めがかからず、原爆投下という人類史上最悪の事態を招いた。 戦争の早期終結というのは名目で、真相は開発してきた原子爆弾の威力や、破壊力を知りたかったとか、人殺しの武器のための膨大な額の研究・開発費を正当化するためとも言われている。
『靖国神社 〜占領下の知られざる攻防〜』、『戦後60年 靖国問題を考える』 では、
首相の参拝、A級戦犯の合祀などアジア近隣諸国との間で問題を抱えている靖国神社。 この神社の成り立ち、軍国主義の象徴とされた背景など、現代に至るまでの歴史の検証、また靖国問題について有識者があらゆる観点から討論する。
大きな問題は、A級戦犯を合祀したという点でしょう。 彼らは東京裁判で戦犯として断罪された。 しかし重要なのは、その裁判の正当性です。 裁く側の人間が戦勝国なんだから話にならない。 それこそ日本側に不利な資料をでっちあげることなんて朝飯前ですよ。 もちろん裁かれた人達が全員無実だとは思いません。 しかし、国際法で禁止されている原子爆弾を使って大量殺戮を行った国にも、日本の戦争責任を裁く権利はないと思います。 ところが原爆投下の責任については言及せずとは。。。 こんな不当な裁判を日本国民は認めるわけがない。 戦争責任を全て負わされ、刑罰を持って償った人達は、全ての戦没者と共に弔われるべきだと思う。
『靖国神社 〜占領下の知られざる攻防〜』 では、
激しい空爆、地上戦が行われた沖縄について、14年に渡り、2500人に及ぶ読谷村民の証言を集めた戦時記録から当時の実態を描く。
日本で唯一、地上戦が行われた沖縄。 逃げる場所がなく、集団自決をした人や、原生林に分け入り逃げ惑ったあげく餓死した人、生き残った人達の過酷な戦争体験や、味方の日本軍からの虐待や、虐殺が行われたという事実を村民の証言から検証している。 一番衝撃的だったのは、味方であるべき日本軍が、同じ日本人を虐殺していたという事実ですね。 本土からの補給も途絶え、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされていた日本兵は、アメリカ兵から小麦を配給されていた読谷村の村民に逆上し、非道な虐殺を実行した。 戦争で真っ先に失われるモノは、良心なんだと今更ながら痛感しました。 奇跡的に生き残り、番組で取り上げられた女性の人生は、暗く、苦痛に満ちていました。 彼女が誰にも話さず、心の中に閉じ込めていた戦後の苦しみを語り、分かり合えるのは、同じく虐殺事件から生き残った人だけでした。
日本が関わった戦争についていつも感じることがある。 戦争の悲惨さ、核兵器の恐怖を後世に伝えていくことはとても重要な事だと思う。 しかしその実質的な活動を行っているのが、戦争体験者ばかりだということだ。 当たり前だがいつかは体験者もいなくなる。 そうなった場合、戦争を知らない日本人が真剣に平和活動などできるのだろうか? と危機感がある。 わたくしも含めもっと若い世代に、教えられるだけでなく、積極的な活動ができるような方法がないものかと思う。 特に国内だけでなく、誰もが諸外国に対して堂々と主張し、平和活動できるような地盤を築いていくことも重要だと思う。 しかしそれには問題がある。 日本の学校では、昭和史をなめる程度でしか授業を行わないせいで、誰もが無知で無関心なのだ。 わたくしはその教育制度にとても腹が立つ。 戦争の悲劇だけを伝えるだけでは、自分の子供や外国人などに、何故、日本は戦争を始めたのか? 何故、大勢の民間人が殺されなければならなかったのか? 何故、今も尚、戦争の傷を引きずり続けるのか? と尋ねられた時に答えられる人はいるのだろうか? また、現在のアジア諸国との問題を解決していくには、歴史問題を避けては通れない。 だからこそ、海外に向けてはっきりと日本人として、個人として、しっかりと意見できる歴史認識が必要だと思う。
( ゚_ゝ゚) { もっと勉強しよう。そうしよう。
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