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::: NHKスペシャル ::: ドキュメンタリー ::: ★★☆☆☆

::: 2008年04月28日 放送

奈良・薬師寺の日光・月光両菩薩(ぼさつ)像が「国宝・薬師寺展」のために史上初めて金堂を出て、展示会場の東京国立博物館に向かう様子を伝える。
天武天皇が発願した薬師寺は火災によって焼失。
しかし、昭和以来の写経勧進など人々の支えによって白鳳伽藍(がらん)として当時の姿が復元された。
今回の日光・月光両菩薩像の公開は、薬師寺が人々の恩に報い、生きづらい時代を生きる大衆の心の浄化に役立てようと決めたもの。
像の背中の"光背"を外し、360度から鑑賞できるようにした。
特別な許可を得て撮影した薬師三尊像や、満月の夜にそびえる東塔の風景などを交え、日本の隆盛期に作られた菩薩像が現代の人々と出合うまでをたどる。




2008年、春から初夏にかけて、東京国立博物館で 『国宝・薬師寺展』 が開催。
光背を取り外した日光菩薩と月光菩薩が揃って史上初めて金堂を出ることとなった。
東京国立博物館に向うまでの様子を撮影した貴重な映像と、薬師寺の歴史を交えたドキュメント番組を拝見しました。


薬師寺には、中学の修学旅行で行きました。
薬師如来を始め、日光・月光菩薩を見たのはそれが最初で最後。(いまのところ)
関西在住だったら、気軽に行けるのでしょうが、東京ではそうはいかない。
今回、東京国立博物館に展示されることとなり、久しぶりに博物館に行ってみようかと思ってます。


わたくしが中学生の修学旅行で薬師寺を訪れた時は、寺社や歴史のガイドとして、お坊さんがいろいろと説明してくれるのですが、そのガイドがとっても面白かったという記憶がある。
今でもそうなのかわかりませんが、格式ばった京都のお寺と異なり、すごく親しみやすい印象を受けました。
薬師寺というのは、法相宗(ほっそうしゅう)の大本山で、天武9年(680年)に、天武天皇が持統天皇の病気平癒を祈願して創建した寺であり、本尊は薬師如来である。
平成10年にはユネスコ世界遺産に登録されている。
薬師如来というのは、その名の通り、病による人々の苦しみを解き放ってくれる如来様。
東方の瑠璃光浄土を司っています。
薬師如来は、薬師寺金堂に日光・月光菩薩を脇侍とし共に安置されています。
薬師三尊といわれ、中央に薬師如来、向って右に日光菩薩、左に月光菩薩が祀られています。
薬師寺というのは不運な寺でもあり、度重なる火災による消失で、一時期廃寺同然となった。
しかし、昭和になって、管長・高田好胤(たかだこういん)が発起人となり、写経勧進による復興事業を進め、白鳳伽藍を再建させた。
現在では、750万巻を越える写経が納経されており、その浄財(人々の祈り)が薬師寺を支えている。

今回、東京国立博物館に日光・月光菩薩を展示するという決断の背景には、薬師寺復興に尽力した人々の恩に報いることと、現代の荒れた時代を生きる人々の心の浄化に役立てたらという思いからなんですね。


東京国立博物館での公開に伴ない、三尊の光背が取り外されました。
史上初ですよ、三尊の背中が拝めるのは。
薬師寺の坊さんですら初めて見るっていうのだからすごい。
思ったよりキレイな背中だったのでびっくりでした。
月光菩薩なんかは、体の構造にしてもそうですが、かなり人間的(女性的)なフォルムで、美しいです。
ちょっとショックだったのが、薬師如来の背中が、関西のパンチ当てたおばはんの背中っぽかったですよ。。。(笑)
当時の鋳造方法として、光背に隠れる背中は細密に再現されてないと思っていたんですが、手抜きが一切ない職人の良い仕事ですね。(笑)
願わくば、三尊揃い踏みで東京で拝見したかったんですが、やはりそれは無理なんでしょうね。
残念。



最後に、番組への怒りの駄目押しです。
50分の枠にしてはいまいちな内容でした。
無駄に映像ばかりを垂れ流しにしているような印象。
薬師寺の歴史的背景も、一般的に知られているような内容ばっかり。
さらに、仏像の解体風景というか、東京に向うまでの作業工程が大雑把。
その部分が1番見たかったわたくしとしては、不満足。
何よりも、BGMで使っていたオペラ歌手の声がうるさくて仕方なかったです。
これが1番最悪だった。
普通に音楽だけ流すか、無音でいいよと思う。
NHKのドキュメント番組は、大概優れたものが多いだけに、今回の番組制作チームは最悪だ。






(  ゚_ゝ゚) { 熱が冷めてきた頃に観にいきたいです。。。







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::: NHKスペシャル ::: 人物・社会・ドキュメンタリー ::: ★★☆☆☆

::: 2007年04月09日 放送

80年代以降の日本における、典型的な“アイドル”といわれてきた女性歌手“松田聖子”。
彼女の存在は、この四半世紀の日本の女性たちの価値観や、ライフスタイルの激しい変化を体現する一つの「シンボル」でした。
結婚や出産などを経ても引退せず、仕事に“走り続ける”彼女の芸能活動の軌跡は、同世代の女性達から圧倒的な支持を集めてきたのです。
特に、「自立」を目指して社会進出に挑んできた、40代から30代後半の“雇用機会均等法”世代の女性たちにとって、松田聖子的なライフスタイルは、一つの理想像と映っていると言います。
番組では、“松田聖子”の27年間にわたる芸能活動のなかで、初めてカメラがバックステージに入り、自ら作詞作曲に携わる創作活動、彼女の素顔や肉声といった「リアル」な“松田聖子”に密着すると共に、“松田聖子”の生き方に憧れる女性たちの人生にも迫ります。
また、インタビュアーに脚本家の大石静さんを起用。
様々な作品で現代を生きる女性の姿を描き込んできた大石さん独自の目線で、「女性たちの偶像」としての松田聖子を解析し、「なぜそこまで支持を集め続けるのか?」同世代の女性たちの心模様をたどります。
この番組は、日本における「女性の時代」の27年を見つめる、新しいドキュメンタリーです。




わが青春のアイドル(?)聖子ちゃんのキュメンタリー番組です。
純粋に人物ドキュメンタリーかと思っていたのですが、聖子ちゃん自身のことはあまり取材されていない。
“女性の自立” という社会の変革の指標となった彼女を通して、現在のキャリア女性の姿を取材した番組。


アイドルとしてデビューした聖子ちゃんは、 “ぶりっ子” という言葉や、“聖子ちゃんカット” なる髪型まで流行にさせるほど、とにかく影響力のあるアイドルだった。
良くも悪くも、彼女以上の強烈な存在感を伴なったアイドルを見たことが無い。
わたくしも子供の時分から好きだった。
聖子ちゃん自身の人となりについては、今も昔も好きとは言い難い。
彼女の音楽がとても好きだった。
デビューアルバム 『SQUALL』 から、 14th 『Strawberry Time』 までは、とにかく大好きで、現在も何枚かCDを持ってるほど。
しかし以降の音楽性はそれまでのものとはどんどこかけ離れていき、わたくしもほとんど彼女の音楽を聴くことは減りました。
そりゃ、聖子ちゃんも、大失恋の後、結婚、出産、離婚という大波を乗り越えちゃったら、音楽性も変わるだろうし、芸能界は移り変わりが速いですし、いつまでもアイドルやってるわけにはいかない。

そんな聖子ちゃんを応援し続ける女性達がいます。
キャリアとして社会の前線でがんばる女性や、結婚・子育てといった家庭を持ちながら、尚、仕事を続けているタフな女性達です。
それまで、女性にとっての仕事は腰掛けであり、結婚したら専業主婦となり、家庭を守るという生き方、価値観を覆す代表選手ともいうべき女性が松田聖子だった。
聖子ちゃんはあくまでもその時流の先駆者の1人として一歩を踏み出しただけなのですが、有名人ということが多くの人達の目を引いた。
当時、子供を祖母に預け、音楽活動に積極的だった聖子ちゃんには非難轟々だった。
でも、よくよく考えれば、一般ピープルですら、保育園や幼稚園に子供を預けて働く女性はたくさんいたわけで、文句を言われる筋合いではないのですよね。(´ー`)┌
聖子ちゃんはどんなパッシングにもめげずに、自分の信念のままに音楽活動を続けます。
自分のやりたい事をやる。
それが彼女の基本前提であり、それに共感する働く女性達が彼女を支持したのはよくわかる。
今から考えると、聖子ちゃんてとても男性的な女性なんだなぁと思いますよ。
世界のアイドル(?)マドンナと似ている。
自分の女性としての魅力は、商売だと、売り物であると割り切ってるとことかね。
聖子ちゃんの場合、アイドルという売り物は、いつしかスキャンダルに変わりましたが。。。


聖子ちゃんは、天才肌というよりは、策略家だと思うのですよ。
そういう部分がチラチラ垣間見えるのが好きではないのですが、根がとても明るいし、親近感が持てる部分は好き。
いつもTVで見るたびに、元気で楽しそうな空気が良いですよね。
またとても我慢強く、言い訳がましいことを言わない、その潔さとかは感心します。
これからもがんばって欲しいです。
永遠のアイドルですから。。。




(  ゚_ゝ゚) { デビュー後、初期の頃の聖子ちゃん方が、現在よりも歌がうまいです。。。




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::: NHKスペシャル ::: 芸術・ドキュメンタリー ::: ★★★★☆

::: 2007年03月04日 放送

2007年春、世界最大級の浮世絵コレクションの全貌が高精細デジタル画像で公開される。
85年前アメリカの大富豪がボストン美術館に寄贈して以来、一度も展示されず封印されてきた6500枚の浮世絵版画。
しかも、そのすべてが変色・退色を免れ、江戸時代の色彩を鮮やかにとどめている。
このコレクションの本格的な調査が、昨年から浮世絵の世界的権威を結集した研究チームによって進められてきた。
注目を集めているのは、喜多川歌麿の浮世絵が400枚、完全な形で残されていたことである。
驚くべきは、女性の着物に鮮やかな紫色が惜しげもなく使われていたことだった。
紫は退色が激しく、歌麿が紫色にこれほどこだわっていたことは、今回初めて明らかになった。
歌麿が生きたのは、老中・松平定信による「寛政の改革」の時代。
浮世絵に対する禁令が相次ぐ中、歌麿はそれに反発し、したたかに禁令の下をかいくぐって作品を発表する。
「紫」にこめた歌麿のメッセージとは?
厳しい時代を生き抜いたある浮世絵師の姿が浮かび上がる。




スポルディング・コレクションと呼ばれる、世界最高の江戸時代の芸術品がある。
アメリカの資産家、スポルディング兄弟が収集した6500枚にも及ぶ浮世絵版画だ。
浮世絵は変質、退色が激しい版画であり、現存する浮世絵では当時の色彩を残しているものはほとんどない。
しかし、スポルディング・コレクションだけは、当時の色彩をとどめている。
彼らの意向により、寄贈したボストン美術館で一切の展示を禁止してきたからだ。
この奇跡的ともいえる美しい色彩を保っている浮世絵を、高精細デジタル画像として記録し、中でも歌麿の作品(400枚)に注目し調査が行われた。


“歌麿” といったら、女性ばかりを描いた絵師、というくらいの認知度しかなかった。
元々、現存する歌麿の作品自体少ないですし、変色、退色も激しいので、研究らしい研究もまともにできなかったようです。
ところが、今回、スポルディング・コレクションの歌麿作品を見て非常に驚きを感じました。
単なる女好きの絵師と思っていたわたくしですが、とんでもなく勘違いしていたようです。
それどころか、当時で言うところの、粋でいなせな勇み肌の持ち主だったよう。
歌麿がどんな人物だったのか、当時の歴史的背景など、絵(版画)から読み解くのだから面白いです。


絵師としての歌麿は、天才と表現するほかないくらいです。
番組を通して、ほとんど初めて歌麿の絵を見ましたが、現代の漫画で当たり前のように使われている技法などが、江戸時代から既に用いられていたことには驚きですし、構図や、表現方法、シリーズ物を手掛けたりと、江戸時代の人間とは思えないほど、発想が豊かで、何よりも繊細な表現力が目を引きます。
江戸時代の浮世絵では、女性は全身を描くものと決まっていたものを、寛政3年を境に、大首絵(胸より上)を描きだします。
それまでは、構図などで表現していた女性らしさを、顔に表情をつけて、女性の内面を描く事に成功している。
こうして浮世絵をじっくり見ていると、やはり絵画というよりは、現代の日本の漫画に精通する部分が多かった。
そういう点では、江戸時代も、現代も、芸術に対する日本人の感性は全く変わっていないという気がする。


絵師としては名を馳せた歌麿ですが、生まれた時代が悪かった。
老中・松平定信による 『寛政の改革』 の時代に歌麿は幕政に反発し続けた。
その象徴が、歌麿の浮世絵に多く見られる “紫色” だった。。。
高貴な色として庶民には禁じられていた紫色を浮世絵で多用したのだ。
歌麿の絵の謎を解くことは、上質のミステリーを読んでいる気分にさせてくれます。
それくらい、紫色の謎は衝撃的だった。
スポルディング・コレクションが無ければ、歌麿の浮世絵で紫色が多用されていることはわからなかったですし、その色が何を意味しているのかも永久に謎だったのでしょうね。。。
歌麿は、町娘の名前を浮世絵に書くことを禁じられれば、判じ絵と呼ばれるサイン(名前を絵で表す)に変えたり、町娘自体を描くことを禁じられれば、職人の女性を描くシリーズを描いたりと、不屈の精神で、幕府に対して絵師魂を見せ続けた。
それが災いして、反幕思想の絵師というレッテルを貼られ、逮捕され、50代初めで命を落とします。


歌麿の人間像が、いわゆる正義のヒーロー像だったというのには驚きです。
当時の時代からしたら、 “助六” なのでしょうけど。
幕政に反発するなんてバカだと思う人も多かったはず。
しかし、絵師としての信念を貫こうとすれば、必ずそれを阻害する壁が立つ。
壁を乗り越えようともがく葛藤の中からこそ、素晴らしい芸術作品が生まれてくるのは、どこの世界でも万国共通なんですよね。








(  ゚_ゝ゚)  { 高精細の画像ってどこで観れるんだろ。。。?






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::: NHKスペシャル ::: ドキュメンタリー ::: ★★★★☆

::: 2005年10月29日 放送

武豊騎手は「空を飛んでいるようだ」と話した。
競馬を知らない人々でさえ息を飲む。
純粋に強さが人々の心を揺さぶるサラブレッド。
それが、無敗のダービー馬・ディープインパクトだ。
菊花賞で勝ち、シンボリ・ルドルフ以来、21年ぶりの無敗の三冠馬の誕生となった。
感動を呼ぶ強さはどこから来るのか。

今回は、夏の札幌競馬場での調教の様子、育成牧場の時代のエピソード、厩舎関係者や装蹄師などディープインパクトを支える人たちの姿を取材した。
体の小さかったディープインパクトを大切に育て上げた牧場の人たち、馬の体調を維持するために努力を重ねる厩務員、才能を最大限に伸ばそうとする調教師。
最新の技術を駆使して、蹄を守り続けてきた装蹄師。
ディープインパクトの強さは、多くの人たちの努力と愛情によって支えられていた。
番組では、ディープインパクトを支える人たちの話を通して、強さの秘密に迫る。



ディープ、三冠おめでとう♪

馬。。。かわいいよぉ。
何であんなデカい成りしてるくせに、かわいいのだろう。(´v`)
見てるだけで和むんだよなぁ。
柴犬くらいのサラブレッドがいたら、みんな飼うでしょうなぁ。

今回の菊花賞はおそらく誰もが賭け事云々じゃなくて、ディープが勝って三冠馬になるのを見るためのレースだと思ってたんじゃないでしょうか。
それだけ期待が大きかったディープインパクトと、馬を支えてきた人たちのドキュメントを見ました。


ディープインパクトは、生まれつき爪が薄く、馬体も小さいことから、子馬の時はあまり期待をされない馬だったそうです。
ところが、闘争心の強い性格と、走ることが好きだったせいか、成長とともに、メキメキと頭角をあらわしてきたそうです。
ディープの能力を科学的に分析したところ、

1.心肺機能が高い
2.効率的な走りのフォーム
3.関節のやわらかさ

なんだそうです。
子馬の時からバンバン走ってたせいか、心肺が鍛えられ、レース直後から心拍数が正常になるまでに、他の馬と比べて3倍以上速い。
また、後足を振り上げる時も、身体によくひきつけられる上に、足首がとてもやわらかいので、後足が芝生を蹴り上げる時に、前方に無駄なく推進力を生み出せるのだそうです。
フォームも安定してくるので、上下に体が揺れないで、スムーズに走ることができる。
武豊騎手が、 『空を飛んでいるようだ』 と語ったほどだ。

そんなペガサスみたいなディープですが、弱点もある。
全てのサラブレッドに言えることですけど、足の故障というリスクは常についてまわるし、生まれつき前足の爪が薄く、蹄鉄に釘が打てない。
その為、日本では初の新しい装蹄法を試みることになった。
蹄鉄を特殊な接着剤で、蹄につけるのだそうです。( ̄□ ̄;)


装蹄師だけでなく、闘争心の強いディープをコントロールするための訓練をした調教師や、健康や体調管理に細心の注意をして世話をした人、ディープに関わった多くの人達のうち、一人でも自分の仕事に対して努力を惜しんだり、プロ意識が欠けていたら、三冠という偉業は達成できなかったと思います。


正直言うとわたくしは、競馬があまり好きではありません。
人間の欲のために、馬が利用されていると思っているから。
けど、賭け事は抜きにして、馬が懸命に走っている姿、人馬一体なって闘っている姿を見ていると、何ともいえない気持ちになるんですよね。
知能が高い動物だからかわかりませんが、犬やイルカに共通するものがあって、人の心を動かす力があるんでしょうね。
人間的な感性を持ってる動物だからでしょうか。。。?






(  ゚_ゝ゚)  { 乗馬セラピーっていうのがあるらしい。







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::: NHKスペシャル ::: 歴史・ドキュメンタリー ::: ★★★★☆

::: 被爆者 命の記録〜放射線と闘う人々の60年〜 ::: 2005年08月06日(土) 放送

8割以上の人が亡くなった爆心から1キロ以内の地帯。
奇跡的に生き残った人々に、いま放射線の影響と考えられるがんが多発している。
900メートルで被爆した男性は、この10年で14度の手術を経験、550メートルで被爆した女性は4つのがんを経験した。
NHKは広島大学と協力し、この地帯で被爆した人々がどれ程の放射線を浴び、
通常の人よりどのくらいがんが多いのか、科学的検証を試みた。
番組では、放射線によって傷付いた人々の体と心を見つめ、核兵器が人間をどこまで冒し続けるのか、その恐ろしさを描く。


::: 赤い背中 〜原爆を背負い続けた60年〜 ::: 2005年08月09日(火) 放送

背中を真っ赤に焼かれ、うつ伏せで横たわる少年のカラー写真がある。
原爆被害の悲惨さを物語る一枚として有名なこの記録写真を、
長崎市に住む谷口稜曄(すみてる)さん(76歳)は名刺に印刷し、核廃絶を世界に訴え続けている。
写真の少年は60年前の谷口さん自身だ。
16歳の夏、谷口さんは郵便配達中に原爆の熱線を浴び、背中を激しく焼かれた。
1年9か月間、うつ伏せのまま地獄の苦痛に耐える。
奇跡的に生き残ったものの、未だに背中の傷は完治せず原因不明の肉塊が繰り返し出現する。
だが谷口さんにとってはキリキリ疼(うず)く背中の痛みこそ、平和を訴える原動力となってきた。
その不屈の歩みを、妻・栄子さん(75歳)が支えている。
二人は長崎の街を見下ろす山の中腹に小さな家を建て、戦後を生きてきた。
結婚、出産、子どもの成長、そして孫の誕生…。
夫婦に訪れる喜びには常に、放射能への不安が背中合わせのようにつきまとう。
癒えることのない背中の痛みを抱えながら訴え続ける谷口さんの戦後を見つめる。


::: そして日本は焦土となった 〜都市爆撃の真実〜 ::: 2005年08月11日(木) 放送

炎に包まれる街、次々と焼け死ぬ人々・・。
第二次世界大戦は空からの爆撃で、都市そのものが戦場となり、市民が目標となる人類史上例のない凄惨な戦争となった。
戦略爆撃による一般市民の犠牲者は日本、ドイツ、イギリス、中国などを合せて百万人近くに達する。
国際ルールで禁じられていた都市、および住民への攻撃が、なぜ実行されたのか。
日本の都市は、なぜことごとく焦土となったのか。
戦後60年が過ぎた今、世界各地で、空爆の実態とそれに至るプロセスを解明しようという動きがうねりとなり始めている。
番組は、機密解除された膨大な米英の空軍資料をひもとき、日本をはじめ世界の爆撃を受けた地を訪ねて、爆撃の実態を検証。
各国が互いに影響し合いながら都市爆撃に傾斜していく過程を徹底追跡していく。
日本への空爆は、当初、都市爆撃に否定的だったアメリカが激しい議論の末に決定したものだった。
そこでは、市民に恐怖を与え、戦争遂行の意図を失わせるという意図があった。
テクノロジーの発展と相手の姿が見えない近代戦争のスタイルが、
罪なき市民を死に追いやっていった戦争の悲劇を壮大なスケールで描いていく。


::: 靖国神社 〜占領下の知られざる攻防〜 ::: 2005年08月13日(土) 放送

首相の参拝などを巡り、内外で論議を呼ぶ靖国神社。
そもそも靖国神社とはどのよう神社なのか、それを考える上で、重要な資料が次々と発見されている。
戦前、陸海軍省が管轄していた靖国神社は、軍国主義の象徴と見なされていた。
終戦後、GHQは靖国神社を廃止することを検討し、国家と国家神道のつながりを断とうとした。
しかし、靖国神社は生き残った。
そこには、占領政策を円滑に行おうとするアメリカの思惑や、日本政府、旧日本軍、神社関係者の戦略があった。 
番組では、日米に残された膨大な資料や関係者の証言から、靖国神社が一宗教法人として存続するまでの攻防を描く。


::: 戦後60年 靖国問題を考える ::: 2005年08月14日(日) 放送

戦後60年の今年、靖国神社をめぐる問題が、国内外で大きな焦点となっている。
首相による参拝の是非など、靖国神社をめぐる問題を私たちはどう考えればいいのか。
靖国問題をめぐる歴史をたどりつつ、有識者が討論する。
番組では、戦後、靖国神社には誰がどのように合祀されてきたのか、
なぜ、A級戦犯が合祀されることになったのか、などを当事者の証言と資料で歴史的に検証。
そして、参拝の是非や追悼のあり方、歴史認識の問題などについて議論を深める。


::: 靖国神社 〜占領下の知られざる攻防〜 ::: 2005年06年18日(土) 放送 / 2005年09月03日(土) 再放送

太平洋戦争末期の沖縄戦では、3か月に及ぶ日米の激しい戦闘で20万人以上が犠牲となった。
そのうち一般住民の犠牲者は約10万人に及んだ。
猛烈な地上戦は、沖縄の住民の4人に1人の命を奪っていったのだ。
昭和20年4月1日、米軍が上陸した読谷村では、多数の住民が、地上戦の極限状態の中に最初に陥れられた。
「畳一畳に一発」といわれた激しい砲弾の雨、米軍の包囲が狭まる中での集団自決、
原生林を逃げ惑う中での飢餓、味方であるはずの日本軍から受けた虐待・・・。
読谷村民の犠牲者は、3000人を超えた。
そして、生き残った村民たちは、家族、仲間が次々に命を落とした過酷な地上戦の実態について、戦後、長く口を閉ざしてきた。
読谷村では、戦争に巻き込まれた村民の運命を後世に伝えるために、
沖縄戦の体験者からの聞き取り調査を行い、14年がかりで2500人に及ぶ証言を集め、
去年2000ページの戦時記録にまとめた。
60年前、地上戦の戦場という“逃げ場のない地獄”にさらされ、家族、住まい、ふるさと、すべてを奪われていった人々。
読谷村の戦時記録に記された村民たちの証言をもとに、60年前の沖縄戦の実態を住民の視点で描き出す。



戦後60年の節目に制作され、数日間に渡って放映された、NHKスペシャルのドキュメンタリー番組。

子供の頃は、8月になると膨大な記録や、全国から寄せられた体験談を元に、各局で戦争における特集番組が見られた。
しかし近年はあまり見受けられない。
ドラマの方が視聴率が取れるとばかりに、戦争の名を借りた嘘くさいドラマしか見かけない。
それに反して、NHKのドキュメンタリーは興味深かったし、考えさせられる。


『被爆者 命の記録〜放射線と闘う人々の60年〜』 では、

放射能と闘う人々をドキュメントしている。
原子爆弾の爆心地1km以内で被爆して生き残った人々の大半が、放射能の影響と考えられるガンに苦しんでいる。
しかも体の様々な部位でガンが発症する、重複ガンで何度も手術を繰り返えすという。
胃ガンの手術をしたと思ったら、今度は皮膚ガンと、心休まる暇などない。
それだけでなく、自分の子供や孫が病気になる度に、自分が受けた放射能の影響なのではないか?
という不安な気持ちに苛まれるという。

ガンとはほど遠いので、比較するのもなんですが、わたくしは喘息持ちでして、通年性アレルギー症状(呼吸器系)で問題を抱えています。
風邪を引くとその影響で喘息が発症するので、常に体調の管理に気を使う。
喘息の二文字はいつも頭にあり、ちょっとでも咳がでると不安になる。
わたくしの場合、命に関わる状態ではないのでマシですけど、がんは命に関わる病気ですから、被爆した方々は毎日過度のストレスを受けているだろうと、本当に気苦労が絶えず大変だろうなと思います。


『赤い背中 〜原爆を背負い続けた60年〜』 では、

郵便配達中に原爆の熱線を背中に浴びた谷口さんの、平和を訴え続ける戦後の人生をドキュメント。
16歳の時被爆し、大ヤケドを背中に負い、生死の堺をさまよった谷口さん。
奇跡的に生還したものの、1年9ヶ月もの間うつ伏せの状態で地獄のような苦痛に耐えた。
未だに背中の傷は完治していない。

このドキュメントは衝撃的でした。
想像を絶する谷口さんの被爆からの人生は、正直、見てて胸が痛みました。
60年経った今も、仰向けでは寝られない。
背中の深部まで熱線で焼かれ、皮膚再生は不可能な状態なので、表面は皮膚のように見えるが違うらしく、かさぶたのような膜でかろうじて守っているが、脆く簡単に傷ついてしまう。
皮膚呼吸も困難なため、夏場など温度調節が出来ずに体調を崩しやすい。
また、原因不明の肉塊が背中から何度も出現するという。
そんな状態にもかかわらず、背中を真っ赤に焼かれ、うつ伏せで横たわっている当時の谷口さんのカラー写真を自分の名刺に印刷し、世界各国に核廃絶と平和を訴え続けている。 頭が下がります。
彼の活動の原動力となっているのは、今も痛み続ける赤い背中だという。


『そして日本は焦土となった 〜都市爆撃の真実〜』 では、

国際ルールで禁じられていた、都市、一般市民への空爆の実態を検証したドキュメント。

現代のアメリカの十八番、空爆です。
しかし、第二次世界大戦では、ドイツ・日本が先んじて空爆を行い多くの人命を奪っている。
日本では東京をはじめ、大阪や名古屋といった都市が、戦争の早期終結という大義名分を掲げたアメリカの無差別爆撃で、多くの民間人が亡くなった。
この大空襲で日本はほぼ壊滅状態で、事実上の敗戦国であった。
しかし、この大量殺戮には歯止めがかからず、原爆投下という人類史上最悪の事態を招いた。
戦争の早期終結というのは名目で、真相は開発してきた原子爆弾の威力や、破壊力を知りたかったとか、人殺しの武器のための膨大な額の研究・開発費を正当化するためとも言われている。


『靖国神社 〜占領下の知られざる攻防〜』、『戦後60年 靖国問題を考える』 では、

首相の参拝、A級戦犯の合祀などアジア近隣諸国との間で問題を抱えている靖国神社。
この神社の成り立ち、軍国主義の象徴とされた背景など、現代に至るまでの歴史の検証、また靖国問題について有識者があらゆる観点から討論する。

大きな問題は、A級戦犯を合祀したという点でしょう。
彼らは東京裁判で戦犯として断罪された。
しかし重要なのは、その裁判の正当性です。
裁く側の人間が戦勝国なんだから話にならない。
それこそ日本側に不利な資料をでっちあげることなんて朝飯前ですよ。
もちろん裁かれた人達が全員無実だとは思いません。
しかし、国際法で禁止されている原子爆弾を使って大量殺戮を行った国にも、日本の戦争責任を裁く権利はないと思います。
ところが原爆投下の責任については言及せずとは。。。
こんな不当な裁判を日本国民は認めるわけがない。
戦争責任を全て負わされ、刑罰を持って償った人達は、全ての戦没者と共に弔われるべきだと思う。


『靖国神社 〜占領下の知られざる攻防〜』 では、

激しい空爆、地上戦が行われた沖縄について、14年に渡り、2500人に及ぶ読谷村民の証言を集めた戦時記録から当時の実態を描く。

日本で唯一、地上戦が行われた沖縄。
逃げる場所がなく、集団自決をした人や、原生林に分け入り逃げ惑ったあげく餓死した人、生き残った人達の過酷な戦争体験や、味方の日本軍からの虐待や、虐殺が行われたという事実を村民の証言から検証している。
一番衝撃的だったのは、味方であるべき日本軍が、同じ日本人を虐殺していたという事実ですね。
本土からの補給も途絶え、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされていた日本兵は、アメリカ兵から小麦を配給されていた読谷村の村民に逆上し、非道な虐殺を実行した。
戦争で真っ先に失われるモノは、良心なんだと今更ながら痛感しました。
奇跡的に生き残り、番組で取り上げられた女性の人生は、暗く、苦痛に満ちていました。
彼女が誰にも話さず、心の中に閉じ込めていた戦後の苦しみを語り、分かり合えるのは、同じく虐殺事件から生き残った人だけでした。


日本が関わった戦争についていつも感じることがある。
戦争の悲惨さ、核兵器の恐怖を後世に伝えていくことはとても重要な事だと思う。
しかしその実質的な活動を行っているのが、戦争体験者ばかりだということだ。
当たり前だがいつかは体験者もいなくなる。
そうなった場合、戦争を知らない日本人が真剣に平和活動などできるのだろうか? と危機感がある。
わたくしも含めもっと若い世代に、教えられるだけでなく、積極的な活動ができるような方法がないものかと思う。
特に国内だけでなく、誰もが諸外国に対して堂々と主張し、平和活動できるような地盤を築いていくことも重要だと思う。
しかしそれには問題がある。
日本の学校では、昭和史をなめる程度でしか授業を行わないせいで、誰もが無知で無関心なのだ。
わたくしはその教育制度にとても腹が立つ。
戦争の悲劇だけを伝えるだけでは、自分の子供や外国人などに、何故、日本は戦争を始めたのか?
何故、大勢の民間人が殺されなければならなかったのか?
何故、今も尚、戦争の傷を引きずり続けるのか?
と尋ねられた時に答えられる人はいるのだろうか?
また、現在のアジア諸国との問題を解決していくには、歴史問題を避けては通れない。
だからこそ、海外に向けてはっきりと日本人として、個人として、しっかりと意見できる歴史認識が必要だと思う。





(  ゚_ゝ゚)  { もっと勉強しよう。そうしよう。






テーマ:TV番組 - ジャンル:テレビ・ラジオ







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